私の話し
今回は自分の子供の話しではなく、自分が子供だった頃の話しを載せようと思います
5人家族3姉妹の末っ子
大人になった今考えるととても幸せな家庭で育った私
11歳年上の第2の母のような姉と、年子の姉
親戚中でも1番年下の私
小さい頃はどこへ行っても甘やかされて育ちました
年子の姉はとても世話焼きで、小さい頃はいつも姉の後ろを着いて歩き、人見知りだった私の代わりにお喋りだった姉がなんでも話し、恥ずかしがり屋の私の代わりに姉がなんでもやってくれました
幼少期は、毎日隣の家の3兄弟の幼なじみと外で泥だらけになりながら真っ黒に日焼けして遊び、幼稚園は1年保育で幼なじみと同じクラスで、幼稚園では姉の代わりに幼なじみが私の代わりに喋り私を助けなんでもやってくれました
お察しの通り私は1人じゃ何も出来ない小学校1年生になりました( ˊᵕˋ ;)💦
幼なじみともクラスが離れてしまい不安いっぱいでスタートした1年生の私に待ち構えていたのは強烈な女の先生でした
毎日のように怒っている先生
ぶちギレた時に給食で出た冷凍みかんをぶん投げている姿は今でも忘れない
私はすぐに学校へ行けなくなりました
休もうとすると母に無理やり学校へ連れて行かれる日々
学校についても行きたくないと母にしがみつく私に先生が「こっちへ来なさい!」と怒る
余計私は嫌になり、モジモジ女の子だった私が「うるさい!くそばばぁ!」と叫ぶ
その後母に置いてかれた私が椅子に座らず教室の後ろで立っていると先生が「そんなに嫌なら帰るまでそこで立っていなさい!」と私に言い、本当に下校時間まで椅子に座らずたっていたらしい。
くそばばぁと言った記憶は残っているけれど、帰るまで立っていた記憶はなく、大人になってから母に聞かされた
母は父母会で他の親の前で担任の先生にその事をはなされたらしいです
下校時間まで立っているのはさすがに辛かったのか、私は母に置いていかれても担任の眼を盗んで勝手に家に帰るようになった
勝手に帰るようになり始めてすぐ、今日も帰ろうと下駄箱へ行くと自分の外靴がない
あれ???と思いながらも、家に帰るという選択肢しかない私。
だからといって小学校1年生の私には上靴で帰るという考えも思い浮かばず、まだ雪が残る道を40分かけて靴下のみで家に帰ったのだ。
後々聞くと、先生と母で話し合い、勝手に帰ってしまうからと母が朝外靴を持って帰って下校時刻に届けるということになっていたらしい。
足を真っ赤にして帰ってきた私を見て母はびっくりしたのと同時に、この子にはこれだけの根性がある これだけ根性があるのだから今焦って学校へ行かせなくても大丈夫だから今は学校に無理やり連れていくのはやめようと思えたと大人になってから聞いた
そんな私は小学校1年生をほぼ行かずに2年生になった。
2年生になると担任の先生が変わり、とても優しい歳のとった男の先生で、私が母に連れられ学校へ行くとと、びっきりの笑顔でポンポンっと私の頭を撫でて「よく来たね!頑張ったね!」と椅子に座らせてくれる先生で私はすぐに学校へ行けるようになった
その後私は新しい友達もでき、静かな性格から少しいじめられた頃もあったけど、1人じゃなにも出来ない女の子は卒業し、静かな女の子となり小学校卒業を迎えた
中学生になり、仲の良い女の子と話しあい一緒にバスケ部に入った
そのバスケ部が強いチームで、地獄のような部活生活が始まった
入学して早々まだ日が出る前に家を出て朝練へ向かい、授業を受けて、また部活
激しい練習
喉が乾いてもたまにしか水を飲ませてもらえない環境で必死に毎日練習をする
そんな日々を送り2年生になって少しした頃私は部活をやめた
そして、なぜだか学校へ行かなくなった
その頃1番上の姉はもう結婚していて別の家に住んでいたけれど、姉の旦那が長期出張で、姉が2歳の子供を連れて実家に一時期的に帰ってきていた。
学校へ行くよりも、その子と遊んでいる時間がとても楽しかった。
それだけその頃の私には学校に対する魅力がなかった
そんな私も中学校を卒業する前にはなぜだか学校へ行くようになりみんなと一緒に卒業式に出ることができ無事卒業した。
その頃の私は静かな女の子も卒業して普通の女の子になっていた
中学校の出席日数が少なかったため私立高校を1度も受験勉強もせず専願で受け、私立高校へ進学した。
仲のいい先輩が同じ高校にいて髪を染めていても大丈夫と言う話しを聞き、私は春休み髪を染めそのままの髪で入学式へ行った
新しい仲のいい友達も沢山出来たけれど、入学式に髪を染めて行った事から担任に激しく目をつけられていた
何かとケチを付けてくる担任に、年頃の私も黙ってはいれずによく言い合いになり悪循環だった。
高校2年生で高校を中退する事になった
高校最後の手続きの日、母と学校で手続きを終え駅までの帰り道。
なんだか寂しそうに見える母の後ろ姿は今でも忘れない。
17歳の私はその母の後ろ姿を見ながら、あーぁ親不孝な子供だなと思ったと同時にもう悲しませないようにしなきゃ!と思った。
そんな感じで私の学生生活は終わった
そして3人の子供をもつシングルマザーになった今。
高校すら卒業していない自分を悔やむ日々。
でも、守るべき子供たちがいる今。
不登校を何度か経験した私でもしっかり毎日会社へ行き、ちょっとやちょっとの事では全くへこたれない大人に成長した
自分の子供たちだって今不登校でも大丈夫。
大切な事を見失わないように、ゆっくりゆっくり笑顔を大切にと日々自分の心に言い聞かせる